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上田真一郎 プロフィール

こんにちは 上田のアニキ です。

ペットと飼い主さんを「言葉」でつなぐ 動物対話士®️ です。


動物対話士®️とは。
一般社団法人動物対話協会(代表理事 伊東はなん)から認定を受けた人間だけが許可を受け、動物対話士®️を名乗ることができるのです。

ちなみに足掛け2年、みっちりと学びました。
動物対話士、のうしろに®️(まるアール)が付いてますよね。
これが、国から商標登録を認められた証しなのです。

 

 

 

自己紹介

 

広島の比治山という小高い山のある街で産まれ育ちました。
物心がついた頃には、ポチと云う名の真っ白なメスの中型犬が一緒に暮らしていました。

ポチ、って今思うと男なまえなのかなとも思うのですが、それはそれは優しい女の子で、僕が病気で床に伏せていると、心配そうに覗き込んでお見舞いに来てくれたり。今でもその時の光景はカラーのまま脳裏に残っています。

小さな頃から普通に相手が犬だということなんか関係なく話をしてました。
家族でカープの試合を観に行く時も「ポチ、カープ観に行ってくるけぇね」とバットを振るマネをして負け試合に出掛けて行った記憶があります。(当時のカープはあまりにもあまりにも弱すぎて、、、)

そんな大好きだったポチが逝ったのは、僕が幼稚園の年長さんだった寒くて霧にけぶった冬の朝のこと。
赤ちゃんを5頭産んで、その仔たちをお腹に抱いたまま亡くなっていました。

父が庭の隅にスコップでお墓を掘ってポチを埋めました。
僕はポチが寒くない様にと単1の乾電池を一本、冷たくなった躰の側に置いて。

ポチが遺した仔たちは、おじいちゃんがやっていた工場の工員さんたちが貰ってくれ、たったのひとりも我が家には残りませんでした。

母が「もう(愛犬が)死ぬるのを見とぉない」
と、父に話していたことをはっきり覚えています。

それから25年くらいは犬のいない生活を送りました。
進学のため上京してからずっと東京で暮らし、いつしか結婚もして家を建て、ようやく犬との暮らしが始まって20年。

これまで5頭の犬たちと共に生活してきました。会社に行く時も一緒です。 
その頃の仕事がコチラ。
https://ameblo.jp/serinazuna93/entry-12399590203.html

納期に追われて忙しい時は幾晩も徹夜作業に付き合ってくれ、ソファで塊になって仮眠したり。
とにかく楽しい事も辛い事もみんなで一緒に乗り越えてきました。

最初の子がスープレックス(パピヨン・♂)。
二人目が美咲(パピヨン・♀)。
三人目が美波(パピヨン・♀)。
四人目が瀬里(ミックス・♀)。
五人目がなず菜(ミックス・♀)。

ずっとボスだったのは美波。
彼女が体調を崩したのは長年連れ添ったスープが15で亡くなった翌年の冬。
動物病院では原因がわからず、大学病院の検査を受けても絞り込めず、結局東京に大雪の降ったバレンタインの夜に会社のソファで息を引き取りました。

ちょうどその頃、僕が脚本を書いて監督した作品の追い込み時期で、これが終ったら事務所を自宅に移してこの子達をゆっくりさせたいと心に決めたのに間に合いませんでした。

きっと、そろそろ僕ら人間もシフトをチェンジしないと体壊すよ、と身を以て教えてくれたんだと思います。

環境がとても良好になり、時間の余裕も出て来たと思った矢先、今度は瀬里が心臓、腎臓、肝臓に脾臓と次々に悪くなって。流石に一瞬心折れ掛けましたが、美波の闘病中に果たせなかった食事療法で回復してくれました。

瀬里が最後の子かなと思っていたのになず菜を保護団体から授かって早3年。

犬たちから大切なことをたくさん学びました。
涙も笑いも、そしてサヨナラも。

今度は、僕が彼らからもらった大切なことを恩送りしていく番です。

■お問い合わせは こちら

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生年月日  1961年01月19日

性別    男性

血液型   O

出身地   広島県

居住地   東京都

ステータス 既婚

職業

自営業動物対話士®️・フォトグラファー・映像作家・レイキヒーラー・and more

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